世界的にみて、人名を空港の名前として使うのはよくあることだと思います。この度、日本人にもおなじみの、ハワイにある『ホノルル国際空港』の正式名称が『ダニエル・K・イノウエ国際空港』に変わりました。
当たり前ですが、故ダニエル・K・イノウエ氏にちなんでつけられたものです。
普通に日本で生活していれば、この日系アメリカ人のイノウエさんの事を知っている人はあまりいないように感じます。だからこそ、このイノウエさんが一体どんな事をしてきた人なのか?とても気になる人も多いことと思います。
そこで、本記事では、
・ダニエル・K・イノウエ氏がどんな人だったのか?
・彼がアメリカでどんな功績を残してきたのか?
等について、簡単にまとめてみました。
(Author: アール)
ダニエル・K・イノウエ氏について
氏名:ダニエル・ケン・”ダン”・イノウエ (1942年9月7日 - 2012年12月17日)
英語表記: Daniel Ken "Dan" Inouye
日本名:井上 建(いのうえ けん)
最初に気になる部分なのですが、名前のつづりです。通常イノウエをローマ字で書く場合『Inoue』ですが、『Inouye』というように『y』の入ったつづりを使っているのが特徴的です。
さて、そのイノウエさんですが、ハワイ生まれの日系2世です。医学の道を目指してハワイ大学で学んでいましたが、時代は第二次世界大戦の最中。日系人ではあるものの、アメリカ人としての忠誠心を示すために軍隊に志願します。そして、アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属されることとなります。
イノウエさんは、この部隊での活躍で名を残すこととなりました。イタリアでのドイツ国防軍との戦闘において、敵兵の弾丸を受け、さらに自身の右腕を失うような重症を負ってもなお後退せず、自らの小隊を指揮し続けたのです。右腕を失ってしまいましたがこの英雄的行動で勲章を受けています。
戦後は、片腕を失ったことから医学の道をあきらめ、政治学を学び、政界に進出します。そして1959年に、アメリカ初の日系人議員となります。
議員になったことで、ひとつ興味深いエピソードがあります。
議員となったイノウエさんが、首都ワシントンの議事堂に初登頂した日の事ですが、以下のような議事録が残っているそうです。
アメリカでは右手を挙手して宣誓の言葉を言うのが慣例です。
議長がイノウエさんに対して「右手を挙手して宣誓の言葉を述べて下さい」と言いました。
そして彼は左手を挙げてこう言いました
「議長、右手はありません。若き米兵として戦場で失くしました」と。
当時、議会ですら日系人に対する偏見も結構あったようなのですが、この宣誓で、議会内の偏見が消え去ったとも言われております。
そして、50年以上にも渡りハワイを代表する議員を務めました。
その間、アメリカを揺るがしたウォーター・ゲイト事件やイラン・コントラ事件の調査に携わり、全米にその名が知れ渡るようになりました。
ウォーター・ゲイト事件とは、1972年、ニクソン大統領が再選を目指していた大統領選挙において、盗聴、侵入、裁判、もみ消し、司法妨害、証拠隠滅等々、様々な違法行為が行われ、結果、ニクソン大統領が辞任に追い込まれた事件です。
この事件の調査の過程で、イノウエさんが調査委員会のメンバーのひとりとして、政府高官の尋問をするなどしました。しかもその尋問の様子は全米にテレビ中継されました。イノウエさんの忍耐強い尋問の進め方は、アメリカ国民の高い支持を得ることができ、その後のイノウエさんの活躍へのきっかけとなる出来事だったようです。
そして彼は最終的には、アメリカの上院議長代行の職を得るまでになりました。この職は、大統領権限継承者第3位という立場でした。
どういうことかというと、アメリカ大統領がその職を務められなくなった時、大統領権限が引き継がれる順番は、
2.下院議長
3.上院議長代行
となっているのです。
つまり、米国大統領に一番近い日系人だったのです。
また、アメリカに限らないかもしれませんが、多くの政治家は声高に、情熱的に訴える手法で演説しますが、イノウエさんは違っていました。彼の立ち居振る舞いは、礼儀正しく、穏やかな語り口でした。そして、目立たない方法でハワイにも大きな利益をもたらしていたとのことです。やはり典型的な日本人の血がそうさせるのでしょうか。
そして、2012年12月、イノウエさんは88歳で亡くなりました。最後の言葉は『アロハ(さようなら)』でした。
空港名として人名が使われるのがどれほどすごい事なのか?
今現在、人名が使われている空港は世界中に数多くあり、アメリカで代表的なものをあげるとすれば、
・ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港
等でしょう。
いずれも大統領経験者です。
国家の代表を努めた人や、歴史に名を残すような素晴らしい功績を残した人の名前がつけられるのが普通なのでしょう。
イノウエさんは、そのような方々と肩を並べるような存在としてアメリカでは見られているという事なのだと思います。
正直、日本に住んでいると、そんなにすごい人なんだという感覚が共有しづらいと思いますが、以下のようなエピソードもあります。
2012年の死去の際、棺がアメリカ合衆国国会議事堂中央にある大広間に安置されて、追悼式典が開かれたのだそうです。このような事は、リンカーンやジョン・F・ケネディなどの一部の大統領や、ごくごく少数の議員に限られおり、イノウエさんでわずか32人目だったそうです。
さらに、その時にはオバマ大統領が「米国は真の英雄を失った」というスピーチもしています。
また、イノウエさんの名前は、空港だけでなく、アメリカの軍艦の名前にも用いられることが決まっています。アメリカ海軍の新造される駆逐艦の艦名が『ダニエル・イノウエ』と命名されたのです。
やはりアメリカではとても偉大な方なのですね。
まとめ
日本人も良く訪れるホノルル空港に『イノウエ』の文字があると、嬉しいような、若干違和感を感じるようななんとも、不思議な感じがします。
ですが、日本の血が流れたアメリカ人の名前が空港の正式名称となったのです。誇らしいことではないでしょうか。
『ジョン・F・ケネディ空港』は、アメリカでは一般的に『JFK』と呼ばれているそうです。さて、それでは『ダニエル・K・イノウエ空港』はどのように呼ばれるんでしょうね?!
『DKI?』『ダニエル空港?』『イノウエ空港?』
気になりますね。今後も『ダニエル・K・イノウエ国際空港』の行方を注視していきたいと思います。