平昌オリンピックのフィギュアスケート団体戦、女子シングルフリーにおいて、長洲未来選手がトリプルアクセルを見事に成功させました。
トリプルアクセルをオリンピックで成功させたのは、伊藤みどり(1992年アルベールビル)、浅田真央(2010年バンクーバー)に続く3人目の快挙!
実に2大会ぶりにオリンピックに戻ってきた長洲選手について話してみたいと思います。
(ライター:marilyn)
長洲未来選手のプロフィール
長洲選手は1993年4月16日生まれの24歳。ロサンゼルスで寿司店を営む日本出身の両親のもとに生まれました。
アメリカカリフォルニア州モンテベロ出身で、22歳となる2015年にアメリカ国籍を選択。身長は164cmで女子としては若干大きい選手。
2014年4月よりトム・ザカライセックコーチに師事しています。
長洲選手、元々は両親とゴルフを習っていましたが、5歳の頃のとある悪天候の日に運命が訪れました。
ゴルフの代わりに近所のスケートリンクに遊びに行ったことがきっかけで初めてスケートをしたという変わり種です。
オリンピックに出場するほどの選手になれるなんて、運命はわからないものですね。
長洲選手 これまでの戦いぶりは?
長洲選手の主な戦績を追ってみましょう。
2010年 バンクーバーオリンピック 4位
2011年 四大陸選手権 銅メダル
2016年 四大陸選手権 銀メダル
2017年 四大陸選手権 銅メダル
2018年 平昌オリンピック 団体戦 銅メダル
レイバック・イナバウアーからのトリプルサルコウや、高い柔軟性を生かしたスピンで観客を引き込む演技が印象的です。
トム・ザカライセックコーチとの出会いでトリプルアクセルを習得
長洲未来選手と言えばバンクーバーオリンピックで4位と、あと一歩のところで表彰台を逃し、試合終了後のインタビューでは「もう二度とこんな悔しい思いをしないようにまた頑張る」と片言の日本語で話しながら号泣していたのが印象的です。
あれから8年。平昌オリンピックの切符を勝ち取るまでにはとても険しい道のりが続きました。
度重なる右足首の怪我や、大人の女性になるにつれて起こる体形変化への対応。
2014年のソチオリンピック代表選考会を兼ねた全米選手権では3位に入ったものの、アシュリー・ワグナー選手が過去の実績を評価されてソチオリンピック代表に当選し、長洲選手は落選。
くじけそうになったことは何度もあったはずです。
それでも頑張ってこられたのは、ソチオリンピック直後のトム・ザカライセックコーチとの出会いが大きかったのではないでしょうか。
長洲選手の「トリプルアクセルを跳べるようになりたい」という気持ちにザカライセックコーチが応え、スケートを一から鍛えなおしてくれたコーチ。
トムが練習予定表を持ってきてくれて、そのプラン通りに滑っていくのですが、それが私には合っていたみたい。
トムとの練習は本当にうまくいっています。」
と長洲選手。
コーチへの信頼感が長洲選手を強くしたのだと思います。
かつての浅田真央さんのコーチでもあった佐藤信夫さんも、長洲未来選手のトリプルアクセルを、
と絶賛しています。
「(トリプルアクセル成功は)スケート人生で一番うれしい。」と日本語で答えた長洲選手。
喜びを爆発させていましたよね!
まとめ
昔は女子にとって難しい技だったトリプルアクセル。それは他のトリプルジャンプよりも半回転多く、滞空時間とのせめぎ合いで、女子選手が跳ぶことは体力面で厳しいものがありました。
かつて公式試合でトリプルアクセルを跳んだ選手は伊藤みどり(日本)、トーニャ・ハーディング(アメリカ)、中野友加里(日本)、リュドミラ・ネリディナ(ロシア)、浅田真央(日本)の5名のみ。
トーニャ・ハーディングから中野友加里が成功するまで10年もかかっています。
⇒伊藤みどり、浅田真央、長洲未来のトリプルアクセル比較動画はこちら
しかし、今ではロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワ、日本の紀平梨花等、若手でトリプルアクセルを跳ぶ選手が増えてきました。
もっとも、女子にとって難しいジャンプであることに昔も今も変わりはありません。
24歳という年齢はフィギュアスケートの世界ではベテランの域。
そんな中でも新しい技にチャレンジすることを恐れずにトリプルアクセルを自分のものにした長洲選手に心から拍手を送りたいと思います。
個人戦でも出来映え点で加点がつくような、美しくダイナミックなトリプルアクセルを決めて、トレードマークの力強いガッツポーズを見せてほしいものです。
がんばれ、長洲未来選手!